オーストリア各州

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ブルゲンラント州・・・・・・・・・・・・・・・アイゼンシュタット
ケルンテン州,・・・・・・・・・・・・・・・・・クラーゲンフルト
ニーダーエスターライヒ州・・・・・・・・・・・ザンクト・ペルテン
オーバーエスターライヒ州・・・・・・・・・・・リンツ
ザルツブルク州・・・・・・・・・・・・・・・・ザルツブルク
シュタイアーマルク州・・・・・・・・・・・・・グラーツ
チロル州・・・・・・・・・・・・・・・・・・・インスブルック
フォアアールベルク州・・・・・・・・・・・・・ブレゲンツ
ウィーンWien

●国名                             ウィキペディア参照
正式名称は Republik Österreich (ドイツ語: レプブリーク・エースターライヒ)。通称 Österreich(エースターライヒ)
公式の日本語の表記はオーストリア共和国。通称オーストリア。漢字表記では墺太利または澳地利(略表記:墺)と記される。
由来と「狭義のオーストリア」国名の Österreich は、ドイツ語で「東の国」という意味である。フランク王国のころにオストマルク(「東方辺境領」)が設置されたことに由来する。OstmarkとはOst-markで「東方の守り」を意味する。ドイツ語を含む各言語の呼称はそれが転訛したものである。
狭義のオーストリアはかつてのオーストリア大公領であり、現在のオーストリアの領土のうちザルツブルク司教領やケルンテン地方、シュタイアーマルク地方、チロル地方は含まれない。オーストリア大公を名乗り同大公領を世襲してきたハプスブルク家、ハプスブルク=ロートリンゲン家を「オーストリア家」と呼ぶようになり、時代が下るにつれ、同家が統治する領地を漠然と「オーストリア」と呼ぶようになった。1804年のオーストリア帝国の成立に際しても「『オーストリア』の地理的範囲」は具体的に定義されなかった。1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が解体され、ウィーンを首都にドイツ人が多数を占める地域で「国民国家オーストリア」が建設されるが、これは一地方の名前(あるいはオーストリア家というかつての王家の通称)を国名に使用したことになる。
現在のオーストリアの行政区画ではかつてのオーストリア大公領は上オーストリア州、下オーストリア州に分割継承されている。
ドイツ語のエスターライヒの reich(ライヒ)はしばしば「帝国」と日本語訳されるが、フランスのドイツ語名が現在でも Frankreich(フランクライヒ)であるように、厳密には「帝国」という意味ではない。「reich」には語源的に王国、または政治体制を問わず単に国、(特定の)世界、領域、(動植物の)界という意味が含まれている。
なお隣国のチェコ語では Rakousko / Rakúsko と呼ぶが、これは国境の地域の名前に由来している。
オーストリア家との関係
オーストリアを統治してきたハプスブルク家およびハプスブルク=ロートリンゲン家は「オーストリア家とも呼ばれ、同家の成員はハプスブルク、ハプスブルク=ロートリンゲンの家名の代わりに「オーストリアの」を表す各国の言語で呼ばれる。「オーストリア家」にはスペイン・ハプスブルク家も含まれることがあり、たとえば、フランスのルイ14世の王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ(スペイン語:マリア・テレサ・デ・アウストリア)はフランス語、スペイン語でそれぞれ「オーストリアの」とあって、スペイン・ハプスブルク家の王女である。

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